JOGMECが管理する「旧松尾鉱山新中和処理施設」
旧松尾鉱山新中和処理施設と貯泥ダム
北上川といえば、冬には白鳥が飛来し、秋には鮭が遡上する、東北地方を代表する清流のひとつです。しかし、鉱山操業が本格化した1933(昭和8)年頃より、松尾鉱山から流出する強酸性水の問題が顕在化し、対策が不十分であったため北上川は茶色く濁り、大きな社会問題になりました。これを、現状の美しい清流に戻したのが、JOGMECが管理する「旧松尾鉱山新中和処理施設」なのです。
旧松尾鉱山は、岩手県八幡平の中腹、海抜740~1,030mに位置する東洋最大の硫黄鉱山で、1882(明治15)年に硫黄鉱床の大露頭が発見されて以来、最盛期には15,000人が生活し、隆盛を極めました。しかし、1960年代からの公害規制に伴う重油脱硫により安い回収硫黄が市場に出回るようになって経営が悪化し、1972(昭和47)年にはついに閉山、松尾鉱業(株)も倒産して義務者不存在鉱山となりました。しかし、鉱山から流出する大量の強酸性水は閉山後も下流の赤川に流出し続け、北上川まで汚染が広がっていました。これを中和するため、赤川に直接、中和剤を投入する暫定中和処理も行われましたが、北上川の汚染問題は解決せず、大きな社会問題となっていました。そこで、当時の通商産業省、建設省、自治省、環境庁、林野庁から構成される五省庁会議によって対策が検討された結果、1976(昭和51)年、多量の鉄を溶存する酸性坑廃水を比較的安価なコストで処理可能な『鉄バクテリア酸化・炭酸カルシウム中和方式』が選定され、同方式による大規模中和処理施設を建設することが決定されました。岩手県は、1976~1981(昭和51~56)年度までに当時の通商産業省の補助を受けて同施設を設計・建設し、その運営管理がJOGMECの前身の一つである金属鉱業事業団に委託されて現在に至っています。
同施設は、1982(昭和57)年4月に本格稼働を開始し、以来、pH2程度の強酸性で鉄やヒ素を多く含む坑廃水を中和処理し、殿物を分離・堆積した上で、上澄水を赤川に放流しています。これと並行して、坑内水や浸透水を減少させるための発生源対策工事や耐震補強工事が岩手県により実施されていますが、それぞれの工事に対してもJOGMECは支援を行っています。
また、大規模災害時等においても安全・確実に施設の運営管理を実施できるよう災害訓練を、岩手県や関係機関と協力して毎年実施しています。
JOGMECはこうした様々な取組みにより、運転開始以来、施設の無事故運転を継続し、40年以上にわたり北上川下流域の環境保全に貢献しています。
新中和処理施設フローの図
恒久排水路トンネル
原水分配槽
酸化槽
バクテリア回収槽
中和槽
固液分離槽
貯泥ダム
操作室