災害と戦い、鉱害を防いだ、あの日。
~旧松尾鉱山新中和処理施設40年無事故運転を振り返る~
岩手県と宮城県を流れる東北一の大河、北上川。
この日本有数の清流を鉱害から守っているのが、JOGMECが維持管理を担う旧松尾鉱山新中和処理施設です。
かつて東洋一の硫黄鉱山と謳われた旧松尾鉱山から流れ出る強酸性の坑廃水を、24時間365日休むことなく処理し続けています。
仮にこの施設が停止した場合、年間500億円の被害が生じ、北上川沿いで生活する約100万人に影響が及ぶと言われています。
2022年3月に「無事故40周年」を迎える同施設は、これまでどのような危機を乗り越え、坑廃水処理を継続してきたのか。
過去に発生した2つの災害事例を、当時の現場担当者の証言とともにご紹介します。
深度160m級の大陥没が突如発生
旧松尾鉱山の地中には、操業中に採掘された坑道が蟻の巣のように広がり、総延長約225km、空洞にして約1,300m3(東京ドーム11個分)に及びます。この坑道の崩落に起因して、閉山から度々、地表部の陥没が観測されていました。なかでも1993年12月1日に発生したB堆積場の陥没は過去最大規模で、東西28.5m×南北45.3 m、下部坑道が起因したとすると深さは約160m以上に及ぶと推定されました。
この大陥没により一時的に恒久排水路からの異常出水が発生し、坑廃水処理への影響が危惧されましたが、安全対策や融雪水対策などを迅速に講じたことで、人的被害や陥没部の拡大、坑廃水の増加も見られませんでした。その後、観察期間を経て4年後の陥没部埋戻しにより現状復帰を果たします。現在では覆土植栽の効果により、過去に陥没のあった痕跡は見られません。
融雪等による地表水が大陥没に流入するのを防ぐため、簡易側溝(排水路)が急遽設置された。簡易側溝の覆土が削られるのを防ぐため、ビニールシートと押さえ土嚢が使用された。
八幡平の冬は例年、初雪が消えた後に2回3回と雪が降り続いて根雪(長期積雪)となります。B堆積場の陥没が発生したのは、若干の降雪があり、根雪になる直前頃だったと記憶しています。
12月1日の夕刻、山元(新中和処理施設)から私たちが勤務していた柏台の松尾管理事務所に第一報「大きな水位変動があり、すぐ収まった。ただちに巡回を開始する」が入り、ほどなく第二報で「陥没を確認した」と続きました。当所での電話の指示応対は当時の松尾管理事務所長でした。受話器を置き、「陥没が起きた」と私たちに説明する口調は、状況に反して意外なほど落ち着いていました。
所長の指示の下、所長ほか数名の所員が新中和処理施設に向かい、私は松尾管理事務所に待機して現場から届く情報を記録・整理する業務を続けました。周辺巡回及び陥没エリアへの立ち入り禁止の強化、積雪及び来春の融雪期を見据えた地表水流入防止等の応急対策など、現場の対応はスムーズに進みました。
当時まだ若手だった私を除き、周囲は経験豊富なベテラン揃いです。松尾鉱業株式会社(注)出身の所長をはじめ、旧松尾鉱山を知り尽くしたメンバーが揃っていたからこそ、これだけの大陥没でも冷静に対応できたのだと思います。あうんの呼吸で対処する皆さんの姿が印象的でした。
(注)旧松尾鉱山の操業企業。1914年設立、1969年倒産。
この仕事に、想定外をなくす努力を怠ってはならない。松尾管理事務所勤務の3年間で学んだことです。地中に無数の坑道・採鉱跡が残る旧松尾鉱山では、陥没は宿命的に起こりうるものですし、高山かつ豪雪地帯に位置する厳しい気候条件の下での業務を強いられます。それらの困難を乗り越えて約40年にわたる無事故運転を達成できたのは、現場で運転管理に携わるDOWAテクノエンジ株式会社をはじめ、現場で勤務する多くの方々が、日々地道な努力を重ねてきた賜物です。彼らこそ、北上川を守り、地域の暮らしを守る英雄であるということを、忘れてほしくはないですね。
未曾有の災害の中、運転を継続
東日本を大型地震が襲った2011年3月11日、旧松尾鉱山地域では震度4を観測しました。地震発生とほぼ同時に新中和処理施設の商用電源が停電しましたが、非常用発電機が直ぐに起動しました。即座に重要設備に異常がないことを確認した後、処理施設への原水通水を中断して坑内貯水を開始しました。その後、処理施設全体にわたる詳細な巡回点検を実施し、設備に損害がないことを確認して原水通水を開始、処理を再開しました。翌日夕刻には商用電源も復電し、坑廃水処理は通常運転に戻りました。地震による直接的な被害は軽微でしたが、発電用重油や車両用ガソリン等の確保に苦心しました。これを契機に緊急時でもガソリン、軽油を確保できる屋外燃料タンクを新設したほか、AEDの導入や非常食・医薬品の備蓄増強など、非常時の体制強化を図りました。
厳冬期の地震により恒久排水路トンネル内の導水管が破損したとの想定で実施した災害訓練の模様。資材倉庫から直径60cmの配管を運び出し、恒久排水路トンネルまで運搬。長年受け継がれてきた「災害・事故対応マニュアル」は、改訂が重ねられている。
3月にしてはやけに寒い日だったのを覚えています。松尾管理事務所に赴任して2年程経ち、日々の業務や八幡平での暮らしにも慣れていた頃です。週末の金曜日で、今日は定時で業務を終えて映画でも観ようと考えていました。
14時46分。突然、強い揺れを感じ、同時に管理事務所の電源も落ちました。どんどん大きくなる横揺れが3分以上続きます。あんなに強く長い揺れは、初めての経験でした。
揺れが収まると管理事務所から山元の新中和処理施設へ向かいました。そのまま12日の20時頃まで施設に留まり、状況確認や関係各位への連絡などの対応にあたります。処理施設では停電と同時に非常用発電機が稼働していたため電力は確保できていたものの、発電機を動かすための重油には限りがありました。重油が尽きてしまえば、坑廃水処理にも影響を及ぼします。
いつ停電が復旧するのか、その時まで重油が持ってくれるのか、先の見通しが全く立たない状況でしたが、幸いにも翌日夕刻には商用電源が復電。そこでようやく、張り詰めていた緊張の糸がほぐれました。
実は地震発生時、当時の所長が入院のため不在で、私が所長代理を務めていました。そうしたイレギュラーな状況下で、対応の指針であり心の拠り所となったのが「災害・事故対応マニュアル」です。JOGMECの前身である金属鉱業事業団時代から松尾管理事務所で受け継がれてきたマニュアルで、過去の災害や訓練をもとに改訂が重ねられてきました。当然、東日本大震災で得た教訓も反映されています。
約40年にわたる新中和処理施設の歴史は、現場担当者の経験や学びの蓄積です。それらを次の世代へ継承し、さらに積み上げていく。これから先も無事故運転を継続していくために、何より大切なことだと思います。
2022年9月13日 40周年記念シンポジウムを開催
旧松尾鉱山新中和処理施設が2022年3月に運転開始から40周年を迎えたことから、岩手県盛岡市で記念シンポジウムを開催します。シンポジウムでは、女優・創作あーちすとの《のんさん》らを招き、鉱害防止事業の在り方や環境保護の大切さを一緒に考えていく予定です。オンライン開催も予定しておりますので、ぜひご参加ください。(本シンポジウムは1月26日開催を予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となっていたものです。)
